RK-HM Chromeの音が良い理由は・・・!?
また、感動値が高いのはどうして・・・!?
■音が良いには、感動値が高いには、確たる理由がある
それにはれっきとした理由がある。音が良くなるべくして良いからだし、感動値が高くなるべくして高いからだ。しかしそれでは理由にも説明にもなってない。
先ず最初に断っておきたいのは、ローゼンクランツには音の良い製品を開発するという概念はない。ただ結果として音が良いという事に於いては否定はしない。
前置きが長くなりそうなのでそろそろ本題に入ろう。先ずは最初の着眼点からして、一般の同業他社とはまるで違う。世間とは全く逆の事を行っている。音色を直接追い求めないで、オーディオを科学的に捉える事をテーマとしている。
【人はどんな時に感動するのか?】。
その主役はモノではなく、人物や事の内容にあると考えている。だからこそ【人間の感動のメカニズムの研究】を長年行って来た。
如何に能力のある人間であっても手抜きをしたり、嫌々やっているのが判るとそれは失望に繋がる。片や幼稚園児が学芸祭で一生懸命演じている姿を見ただけで思わず感動してしまう。
それは何故なのか? その差は技能にあるのではなく、はたまた、金額の多寡や損得でもない。心のありようとか魂とか・・・、形に見えない奥深い情動や本能の部分にあるとしか思えない。
■生き物は音を音楽にして感情を伝える
私の浅学なる発露で思うには、生き物は音や声を発してコミュニケーションを取っている。人間にあっても言葉が生まれる以前から、音楽と呼ぶかどうかは別として音を使って喜怒哀楽を表現していたものだと考えている。文字を持たない民族はあれど、音楽を有しない民族は存在しない。
その感情を伝える媒体は空気という媒質の波動という動きである。波長の長い短いの組み合わせや強弱によって気持ちを相手に伝える。要は長さの違いや素材の違い等の組み合わせによって表現の種類を増やしているのが音楽である。歌にあっては喉の動きや舌や口の開け方でそれを行っている。
従って喜怒哀楽という感情は波長という長さの組み合わせによって、如何様にでも表現出来ると考えて差し支えない。すなわち、カイザーサウンドはただひたすら長さの組み合わせ遊びを延々と探求しているだけとも言える。
五線譜のおたまじゃくしの並び方次第で感情が表現出来るように、オーディオを科学的に解析して来た歴史がローゼンクランツの技法の元となっている。従って主観や感覚は二の次にしているからこそ、狙った音を創れると共に再現性に長けているのだ。
■波動の法則性を示すカイザーゲージ
その途中で波動の法則性なるものを発見し、音を計る物差しという触れ込みの【カイザーゲージ】なる物を世に発表したのが、今から遡る事20年前の2003年である。
それは忘れもしない、東京試聴室を開設した2002年の事だ。35階建ての新築のタワーマンションに意気揚々と乗り込んだ。私のリファレンスシステム一式を広島から持ち込んだまでは良かった。
広さは細長い21平米の約13畳。音を出した瞬間に我が耳を疑う事となった。なんて酷い音だ・・・ どうあがいてもその本質は変わらない。歩くと沈む軟弱な床暖房による足元、隣との境界はコンクリートで固いが、一方の室内の壁は薄っぺらな石膏ボードにクロス張り。
そこで息子と二人がかりでスピーカーのセッティングの研究が始まった。ある時堪えられないような強いこりや引きつりのような症状が肩や頸椎に発生した。スピーカーのセッティングを変えるとそれは解消した。そんな事を延々と繰り返している内にある法則性に気付く事になる。それがカイザーゲージの発表に繋がった。逆境こそが人を育てるのだ。
■ステレオも車も健康な状態が望ましい
当時は月に一回広島と東京を車で往復していた。その道中にオーディオクリニックの仕事を挟むのだ。乗り心地の悪い車だと私の体は悲鳴を上げる。疲労や腰痛を引き起こす車では旅先で仕事にならない。
路面と車と人間との振動のあり様によって疲労度や快適さが大きく変わるのだ。そこから車の乗り心地と走りとの関係性の研究が始まるのだ。ホイールバランスの取り方を自分なりに良いと思う事を、やって貰おうとタイヤ屋さんに頼んでみても相手にしてくれない。
■感動する車の走りの研究
仕方ないから自分でやるしかないと一念発起し、オーディオの顧客であるY氏の紹介により長野の北志賀にガレージピットを持つ事となった。
■Auto Rosen
http://autorosen.jp/
部屋や機器とのマッチング等によって音がころころ変わるステレオに比べると、車はワンパッケージだから事の変化や良し悪しが何倍も解り易い。それで得たデーターをオーディオにフィードバックする。
もとはと言えばオーディオで好結果が得られた技術を車に応用してみる事から始まったのだが、いつの間にか車で得たノウハウをオーディオに活かす事の方が多くなった。これは私にとって大きな出来事であった。
そんな事を繰り返しながら、気が付けば一級建築士の力を借りながら、オーディオルームの設計施工及びリフォームまで手掛けるようになって行った。こうして東京での17年間は本当に修行であり勉強をさせて貰った。
そして人生の総仕上げに入った今、故郷の瀬戸内に戻り豊かな食材を食み、風光明媚な環境の中で偉大なる自然に生かされながら人生の幸福とは何かを探求している。誠に有り難く充実した人生を歩ませて貰っている。
そうした中で得られた体験を通して後に続く若い人達にあるがままを伝えて行きたい。
生きる行為そのものが、
それが即ち音楽なのだ。
音楽はその根源である。
今はこのような心境だ。
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